「人生のやり残しがないようにしとけよ。」父・栄一の言葉に背中を押された。
その時から、自分の胸にしまいこんだ、焼酎造りへの思いを解き放った。平成14年のことである。父と焼酎のこと、新しい蔵のこと夢中になって話した。いい時間が流れた。「あそこに行ってこい、事情は話してある」、「こうしたらいいんじゃないか」父は全力で支えてくれた。人として懐が深く、洞察力の鋭い人物を父のほかに、私は知らない。いろんな言葉を、私に残してくれた。大きな背中を見せてくれたと思う。
初代・栄吉は激動の大正~昭和を、経済人として生き抜いた。昭和4年に焼酎蔵を立ち上げて、800石を作る地域でも大きな蔵に育てた。何もかもが足りない時代だったのだろう、他にも様々な事業を興している。躍動的で楽しい時代だったのだと思う。商工会の設立にも奔走し、初代会長に就いている。厳しい人だったという。確かに近寄りがたい雰囲気を持っていた。だけど私には優しかった。よく夜釣りに連れて行ってくれた。夕方に出発して明け方まで、長い時間祖父と二人、舟に揺られた。もちろん大漁のときもあれば、釣れない時もあった。さすがに真夜中を過ぎると眠い。「栄壽、そろそろ帰るぞ。」という言葉がどんなに待ち遠しく嬉しかったか知れない。舟の中で何を話したか覚えてはいないけど、祖父を独り占めする時間と、漆黒の海の中でポツンと明るい空間が好きで、いつもまた行きたいと思っていた。
全てが私の思いの中にすばらしく鮮明だ。二人の後を私が受け継いだ。しかし私は初代・栄吉、二代・栄一にはとても及ばない。申し訳なかったと思う。そして時は流れて、無事4代目健太郎につないだ。一代が30年を受け持つ。だからやがて創業100年を迎える。「ようやったが、栄壽」と言ってくれる二人の声を聞きたくて、たまらない。
これから時代は大きく変わっていく、と言われている。近未来の2030年、そしてシンギュラリティ到達点としての2050年を大きな節目として未来が描かれている。その通り進むのか、誰にも判らない。判らないまま皆は船に乗り遅れてはならんとばかり、しのぎを削っている。急いではならない。変わらざる価値観(不易)と、変わるべきもの(流行)をしっかりと見極め、新しきを加味していく。そして、積み上げてきたこれまで(過去)と、創造すべきこれから(未来)の一瞬の接点’今’を生きる者として、いつの時代も生きとし生けるものに対する優しさの感性と、大きなものに立ち向かう勇気、そして進取の気鋭を、忘れてはならないと思う。
農業法人
八千代伝酒造株式会社本社
猿ヶ城渓谷蒸溜所
ミッション (理念) |
世にワクワクを届けて、 携わる人達の幸せを造る |
事業内容 | 焼酎製造業、農業、小売業 |
代表者 | 代表取締役社長 八木栄寿 |
従業員 | 15名 |
tel | fax |
0994-32-0024 | 0994-32-0159 |
tel | fax |
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